FC2ブログ
こんにちは!地雷犬です。

テスト期間ということで…
ぼくもいつも考えていることを書きたいと思います。

さてはて…
よく聞く言葉なんですが、「青春」ってなんだろう…?
と思いまして。最近は、「アオハライド」なんて漫画もありましたね。青春を「アオハル」と読むのってなんだかくすぐったい感じがしますね。
青春というと、何を思いつきますか?男子校の青春…というと…なんでしょうか。考えこめば考えこむほどよくわからなくなってきますね。辞書をひいてみると、「夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの」などと書いてありますが、実際今自分は青春時代にいるのでしょうか…?
しばしば青春というものは昔懐かし、おじさんおばさんが懐古の気持ちも込めて「青春ね〜」と言っていたりもしますが、そういう時ってだいだい、言われた瞬間に青春を知覚しますよね。ああ、他人からそう見られるのかと、そう言われた瞬間ってとても恥ずかしくなって、途端に青春をやめたくなってしまわないですか?自分から自分のことを「夢や希望に溢れた活力のみなぎる若い時代」にいるだなんて認知してしまったら、恥ずかしくて、なんだかバツが悪くなってしまったようで。
話を戻しまして、青春というものは何なのか、自分は青春の中にいるのだろうかという問いですが。後者の方に先に答えてしまえば、残念ながら僕たちはいるんだと思います。でも、何となく実感はわかないと思うし、それでいいんだと思います。寝ても起きても、歯を磨いても顔を洗っても青春なんですから、いちいち気にしていたら行動がぎこちなくなってしまいますよね。
でも、それが行き過ぎて、やけに俯瞰的な考え方、例えば「俺は青春なんてまっぴらごめんだ、群れるのは嫌だ」なんていう考え方に発展してしまうこともしばしばあるかと思います。最初からそうでなくても、何かに熱中する時、ふと途中で、もしかして自分はタチの悪い麻薬を使っていただけなのではないかと、思う時があるかもしれません。「何かに熱中するのなんて恥ずかしい」というヤツですね。
何となく実感のわかない、ぼんやりとした青春の中で僕たちは時に不安定さを感じることがしょっちゅうあると思います。それは、自分の今の時間を包んでいる概念、つまり青春というものがすごく抽象的だからです。でも、その抽象的な概念を明確にしようとした途端に、青春の青春らしさはガラガラと崩れるのだと思います。規定された途端に何だか興が冷めてしまうんですね。
こうなってしまうと八方ふさがりになってしまいまして、自分の体は青春に包まれていると定義されているから、自分探しのつもりで、青春を探してみたのに、他人から言われたり、文字にして伝えられた途端に青春が恥ずかしくなってしまいます。
このとき、青春を忘れて何かに熱中している際に、昔そこにいた人が「おっ青春してるね〜」と言ってきたり、もしくは急に冷静に自分の状況を俯瞰的し始めて、興が冷め、これなら「青春」のかたちにはあてはまらないだろうと熱中したら同じことになってしまい、永久にいたちごっこをしている感じなんです。
ここまで来てしまうと、青春は文字や画像には起こせない「神」のようなものになってしまいます。このとき、もっとも青春に近いものをあげれば、この熱中するエネルギーということになりますね。しかし、そのエネルギーがどこから出ているかといいますと、「わからなさ」ということになるでしょうか。思春期の僕たちが情緒不安定なのは「わからない」からなのでしょうかね。

なんという、どうでもいい思索を毎日やっていたら、何かを行動する前に5分くらい固まってしまいますから、そんな事を日々するわけがありません。やるか、それとも止まるかなんですね。お恥ずかしいながらも、僕も青春の中にいるのだと思います。何もかもわからない不安から、時たま力の方向を間違える人もいます。ですが、その「わからない」ために動くエネルギーはすさまじいもので、その力が何個も集まったらすごいことになりますよね。そういう事もあるので、つくづく思春期というものはルールを無視したハチャメチャな時間だとも思います。素晴らしいですね。

ということで、部員のみなさん、わからないために動きましょう。よくわからない「青春」を楽しもうじゃありませんか!

以上、地雷犬でした〜!

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:http://kawagoeglee.blog36.fc2.com/tb.php/3134-a6654174